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「ダヴィデ」

ドナテッロ (1430-50年ころ)

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     <この作品の頭部>   <この作品の後ろ姿>

 優美で女性的な…という表現がぴったりの美しい少年…。この像は、旧約聖書の英雄ダヴィデです。何と言っても「ダヴィデ」と聞いて思い出すミケランジェロのものとは全く違う雰囲気に驚かされますが、この彫像の真に古典的な魅力は、解剖学的な完全性とは別なところにあるのは確かで、その点で明らかにミケランジェロの作品とは違うのです。

 ダヴィデは、羊飼いの少年からイスラエルの王となった人物で、聖書の中の記述には多くの伝説的要素が散りばめられています。イスラエルを統一国家とし、エルサレムを奪ってその首都に定めたほか、音楽の名手であり、旧約の「詩篇」の作者でもあると信じられるほどの多才ぶりです。また、愛人の夫を死に至らしめるような謀略家であるとされているにもかかわらず、キリスト教美術においてはキリストの直系の先祖として、キリストの原型の如き重要な存在とされています。
 ペリシテ人とイスラエル人の軍隊が敵対していたとき、ペリシテ人の戦士ゴリアテは2m40㎝を超える巨体に鎖かたびら、真鍮のカブトに胸当て、長い槍という重装備でした。それに対して、ダヴィデはあえて鎧を拒み、投石機一つで立ち向かいます。しかし、二人の闘いはすぐに終わりました。ダヴィデはゴリアテの額に石を命中させ、倒れているゴリアテ自身の剣を抜き取って、その首を斬り落とし、これがイスラエル軍の出撃の合図となったのです。この像は、まさしくその瞬間を表現したもので、ダヴィデの足に踏みつけられたゴリアテの首と、精巧に再現されたカブトのみごとさには惹きつけられます。

 1420年代半ば、フィレンツェはミラーノ公と戦争をしていました。ですから、ここではゴリアテをミラーノとみなし、弱々しく見えながらも神に愛されたダヴィデをフィレンツェと見なした、非常に愛国的な意味合いが見てとれ、公共の場のモニュメントとして制作されたことが感じられます。1460年代にはメディチ邸の中庭にあったことが知られていますが、それ以前の来歴については不明で、おそらくもっとたくさんの人々が目にする場所に置かれることが予定されていた彫像だったと思われます。

 ルネサンス時代、イタリアの都市国家を支配し、経済を支えた富裕な市民として、まず名前が挙がるのがフィレンツェの大銀行家メディチ家です。とりわけ、コジモ・デ・メディチはその財力を惜しげもなくフィレンツェの美化に費し、そのおかげで教会が整備され、彫刻や絵画が質量ともに充実していきました。彼はまた、学者や芸術家のパトロンとしても有名で、コジモによって庇護され、世に出た芸術家は数知れません。ドナテッロも、その中の一人でした。そして、15 世紀における最も影響力を持った個性的な芸術家でもありました。それは、「古代の彫刻家に匹敵する」と、彼の創造力を絶賛したヴァザーリの言葉からも十分にうかがえるのです。

★★★★★★★
フィレンツェ、 国立バルジェッロ美術館 蔵



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