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「オルタの工場」

パブロ・ピカソ (1881年)

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 あ、きれい…..透明….。 それが第一印象でした。おそらく太陽の光がいっぱいの風景だと想像はつくのですが….私の目には、どうしても氷の城のように映るのです。
 絵画平面は全体に、明るい色や濃い色の小さな面に切り分けられ、工場の建物は立方体としてとらえられています。異なる面は互いに重なり合って、背景も木も建物も一つの世界の中で限りなく溶け合っていくのです。

 この年の7月、ピカソはパリからスペインへ赴き、滞在します。そして、10年前に友人パリャレスと訪れた小さな村オルタ・デ・サン・ファンを再び訪問しています。
 白い太陽の照りつける高原の村….その村を、彼は幾何学的に、単純に描いたのです。ピカソは目の前に見える風景の本質そのものにしか興味がなかったようです。彼が見出した形態は、硬質で、きれいに切り取られた氷の集まりであり、そのさまざまな断面だったようです。 それは、敬愛するセザンヌの、
「自然を円筒と、球と、円錐によって扱う」
という言葉に、大きな影響を受けての表現方法だったと言えるとおもいます。

 1908年の秋、ブラックが、単純な幾何学形態を中心とした6枚の小さな風景画をサロン・ドートンヌに出品し、審査員たちをまごつかせました。審査員の一人であったマティスは、「画面に小さな立方体(キューブ)を認める」と言いましたが、こうした共通した表現方法もあって、ピカソとブラックの二人の画家は強い友情で結ばれていきました。二人が中心となって、キュビスムの運動は推進されていくのです。

 「絵画とは、まず視覚である。われわれの芸術の材料は、われわれの眼が考えるもののなかにあるのだ」
というセザンヌの言葉に直接影響を受けていたごく初期段階、「セザンヌ風キュビスム」と呼ばれていた頃は、まだ管理人の視覚も、ピカソのキュビスムを容易に美しいと感じることができていました。

★★★★★★★
レニングラード、 エルミタージュ美術館蔵



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