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「イギリスの見納め」

フォード・マドックス・ブラウン (1852-55年)

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「Mark Harden’s Artchive」のページにリンクします。

 吹きつける海風は、二人の心を凍てつかせます。二人はしっかりと手を握り合い、その目は強く見開かれ、これから離れる故郷イギリスを網膜に焼き付けようとしているのでしょうか。一度見たら忘れられない目の光です。コートの襟を立てても、フードで頭を覆っても、この寒さは防ぎようがないことでしょう。未知の未来への希望に胸をふくまらませての旅立ちではありません。だからこそ、の身にしみるような寒さなのです。

 茶色のコートと帽子の男性は、トマス・ウールナー。イギリスの彫刻家であり詩人で、1847年、ロセッティに出会い、ラファエル前派の創立メンバーの一人となった人物です。当時、何点かの優れた作品を制作していますが、ほとんど収入を得られず、生活に困窮した彼は1852年、金の採掘に加わるため、オーストラリアに渡ったのです。この作品は、そのウールナーとエンマ夫人、そして二人の子供たちの出発の様子を描いたものであり、フォード・マドックス・ブラウンの最も有名な、おそらく最高傑作となった作品です。

 ブラウンはこの作品について、「どんより曇った日の海の光線を確認するために、作品は主に曇った日に戸外で制作し、肌の部分は寒い日に塗った」と書いています。実際にその場面に立ち会った者でなければ、描き出すことのできなかった緊迫感だったかも知れません。可能な限り細部まで再現しようとしたブラウンの、「鑑賞者に主人公の悲愴感をより強く感じ取ってもらいたい」という意図は、十分に達成された作品と言えます。楕円の画面も、孤独感に満ちた夫妻へ私たちの視線を集中させる効果をもたらしているのです。

 当時、ヨーロッパ大陸の恐慌により、1852年を頂点として移民運動が盛んでした。ですから、これはある意味での歴史画とも言えます。失業者の増加と金価値の高騰というデフレ状況のもとで伝わったカリフォルニアの金のニュースに続き、1851年にはオーストラリアでもゴールドラッシュが起こり、ウールナーは移住を決心したのです。その頃、ブラウン自身もまた経済的に困難な状況にあり、一時はインドへの移住も考えていたといいますから、おそらく、作品への思い入れもただごとではなかったことでしょう。どこか放心したような、諦めきったような夫妻の表情は印象的で、観賞する側の心にも冷たい風が吹き抜けるようです。

 誤解されることも多いのですが、フォード・マドックス・ブラウンは、ラファエル前派兄弟団の正式メンバーではありません。むしろ1848年3月、ロセッティがブラウンのロマン主義的歴史画にうたれ、弟子入りしたことで「兄弟団」と親交を持ったのです。1845年頃から64年にかけて、ブラウンはラファエル前派の様式で制作していましたから、これはちょうどその頃の作品です。丹念でリアリスティックな描写は、ブラウンの技量の高さを思わせます。しかし、この作品に見られたような少々暴力的とも言える表現は、ブラウンの後期の作品では姿を消していきます。彼は本来、アントワープで修業し、のちにドイツ人画家グループのナザレ派と接触をもった、宗教的、道徳的主題を好む、中世ルネサンス期のモニュメンタルな絵画を指向した画家だったからです。

 ところで、この作品の主人公トマス・ウールナーはこの後、1854年にイギリスに帰国し、1857年になってやっとテニスンの胸像が認められました。その胸像のオリジナルは現在、ケンブリッジのトリニティー・カレッジの図書館にあり、コピーはウェストミンスター・アビー、ロンドンのナショナル・ポートレイト・ギャラリーなどに展示されているということですから、彼の苦労はみごとに報われたということになります。

★★★★★★★
バーミンガム市立美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎ラファエル前派―ヴィクトリア時代の幻視者たち
        ローランス・デ・カール著 高階秀爾監修  創元社 (2001-03-20出版)
  ◎ヴィクトリア朝万華鏡
        高橋裕子・高橋達史著  新潮社 (1993-11-20出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)



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