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「おお死よ、汝の勝利は何処にかある」

ヤン・トーロップ  (1892年)

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 なんて不思議な情景でしょう。流麗で律動的な黒チョークのみの描線によって描き出された世界は美しく魅惑的で、端正な謎に満ちています。

 この作品のタイトルは、新約聖書のコリント書15章55節「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか」を典拠としています。その言葉どおり、二人の天使が悪霊の手から死者を守るように、その身体から棘を取り除いているのです。天使たちの長い髪と、ゆるやかに翻る衣の線の流れるような美しさは、線描家と呼ばれたトーロップの力が隅々にまで示され、その精緻を極めた美しい描線に、私たちはただ目を見張るばかりなのです。

 ところで、この作品の前景が墓場であること、閉じられた庭であることは容易に見てとることができるのですが、背景に広がる風景は、いったい何処なのでしょうか。不安な闇に包まれた森、それとも砂丘なのかも知れません。そして、その向こうには海が広がっていそうな予感がします….。ヤン・トーロップがその生涯に二度住んだ、ライデンの西にあたる海岸沿いの小さな漁村、カトウェイク・アーン・ゼーの海ではないかという指摘もあります。トーロップのなかに象徴主義が形成されようとしたその時期に滞在したカトウェイクが、その後のトーロップ作品には繰り返し現れているというのです。それは、さまざまな前衛的傾向を吸収し、多様な表現手法を使い分け続けたと言われるトーロップのなかの、きわめて北方的な秩序感をとどめた表現だったのかも知れません。

 ヤン・トーロップは、オランダ領東インドの副総督と中国系のジャワ人女性との間に生まれ、後にデン・ハーグに渡り,アムステルダム、ブリュッセルで絵画を学びました。そしてブリュッセルにおいて、美術史上ではかつてないほどの激しい革新の時代….印象主義、象徴主義、そして野獣派や立体派が登場するという激動の時代に身を置くこととなります。そんななかで自らもさまざまな様式を試みたのち、やがて、素描と素描的性格の強い油彩に独自の表現の道を見出していったのです。そして1895年以後、ローマ・カトリックが彼の創造の大きな源となり、1905年にはカトリックに改宗、熱烈な信仰を色濃く反映する作品を手がけるようにもなっていきます。
 この作品はそれより少し前….隠秘思想家ペラダンの「薔薇十字会」と接触をもった「象徴主義時代」と呼ばれる時期に描かれた作品です。この時期は、通例、トーロップの代表作と見なされる作品群が集中的に描かれたときでもありました。人間を支配する抗い難い宿命、悪霊….そういったイメージが凝縮された時期と言ってもいいかも知れません。

 しかし、トーロップが描いたものは、決して不安を導き出すような世界ではありませんでした。その装飾的な曲線を主体とした造形は、やがてアール・ヌーヴォー様式への道を拓くものでした。そして、画家自身が幼少時を過ごしたジャワの更紗や影絵劇ワヤンとのつながりも色濃く感じさせるものだったのです。
 そんなことを思いながらトーロップ作品を見直すとき、その神秘的でエキゾティックな魅力が、世紀末に活躍した多くの芸術家たちの中にあって、ひときわ異彩を放つ存在であったことがあらためて認識されます。幼少時に培われた独特の感性に加えて、旺盛な探求心、卓抜したデッサン力によって完成されていったトーロップならではの世界は、余人には踏み込むことのできない聖なるヴィジョンで満たされているのです。

★★★★★★★
アムステルダム国立美術館版画室 蔵



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