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「ステュクス川を渡るカロン」

ヨアヒム・パティニール  (1520-24年)

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 限りなく、画面の奥へ奥へと伸びる川を一人の男がゆっくりと渡っていきます。男の操る小舟は、大きな大きな宇宙を思わせる風景のパノラマに呑み込まれていくようです。前景は暖かみを含んだ茶色、中景は深い陰影を感じさせる緑、そして遠景は半透明な青という色彩で構成され、鑑賞する私たちの心も男の小舟に乗って、ゆっくりと夢を見ているように、この風景のなかに引き込まれていきます。

 ギリシャ神話の世界では、死者の霊は川を渡ってハデス(冥府)へと行くことになっています。その川の渡し守が、彼、カロンなのです。目を凝らして見ると、確かに小舟には、放心したような死者が同乗しているようです。彼も、初めて見る光景に圧倒されているのかも知れません。
 カロンは髭のある老人で、普通はこの作品のように、一人、またはそれ以上の小さな人物….ときには有翼であることもあります…..が、小舟に同乗して描かれます。そして、他の霊たちは、岸辺で自分の番を待っているのです。この作品では、左岸が天使の住む天国、右が業火燃えさかる地獄となっており、神話とキリスト教の図像が同居した表現となっているのも興味深いところです。

 パティニールは、16世紀ネーデルラントにおいて、風景画を専門に手がけた最初の画家と言われています。その生涯については謎が多く、署名のある作品はごく僅かですが、彼の手になると考えられている作品は、じつは現在、きわめて多いのです。デューラーによって「優れた風景画家」と称賛されたパティニールは、当時、非常に活発に活動した作家だったことが充分にうかがえます。1515年にアントウェルペン画家組合に親方として登録し、以後、同地で活躍しています。
 パティニールは物語の場面を描きながら、むしろ風景描写が優位に立つような作品を生みだした最初の画家と言われていますが、たしかに彼の特徴は、岩だらけの山々、青々と広がる谷に比べて、ドラマを演じる人物が小さく描きこまれているに過ぎないところにあります。また、次第に遠くを見はるかすような色彩の構成は、それまでにもボッスやダーフィットによって採用されていたもので、決してパティニールが最初というわけではなかったのですが、それでも彼の優れたところは、風景画という、それまでになかったまったく新しい分野の重要性を、ほとんど本能的に理解していたところにあったように思います。海、山、川、森、岩….といった大自然の諸要素を統合して、一つの宇宙のような風景画を描いたパティニールは、空想の世界を実景のなかに実現した稀有な画家だったと言えるかも知れません。

 パティニールは、やがて、16世紀半ばの偉大な風景画の開拓者ピーテル・ブリューゲルの先駆をなしたと言われています。確かに、彼の作品はボッスにもブリューゲルにも通じるものを感じさせます。しかし、宗教などの主題は飽くまでも口実にして、風景描写にのみ興味を集中させた彼の情熱は、この当時においても非常に特異で、尽きない魅力を感じさせます。

★★★★★★★
マドリード、 プラド美術館 蔵



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