白く美しいドレスを身に着けて小舟に乗り、泣き腫らした目をこちらに向ける女性の儚い表情に鑑賞者は胸を打たれます。女性は弱々しい手で みずから碇の鎖を上げていますから、今の状況は彼女自身が選択したものであることがわかります。ただ、水面の静けさと背景の暗く夢幻的な森、最後の一本だけ消え残った蝋燭は死を予感させます。彼女は既に黄泉の国へと運ばれているのかもしれません。
この作品はイギリスの詩人アルフレッド・テニスンの詩『シャロットの女』(1832年)に基づいています。伝説によると、シャロット姫はアーサー王の時代に存在したとされる女性で、シャロットの島(Shalott)に住んでいたとされています。この場所は、アーサー王の王国の近くにあるとされていますが、現在では詳細な位置はわかっていません。
シャロット姫は、魔法の呪いによって島の塔に幽閉され、外の世界に出ることができませんでした。さらに彼女は、外の景色や出来事を直接見ることが許されていませんでした。もし見てしまったら、生きてはいられないのです。ひどい呪いです。そのため、シャロット姫は塔の窓から見える景色を鏡に映し、それを見て過ごしていたのです。
そんなある日、シャロット姫は鏡を通して、遠くから円卓の騎士ランスロットの姿を見てしまいます。そして、その美しさと勇敢さに心を奪われます。彼女は彼に恋をし、直接会いたいという強い願望を抱いたのです。ところがそのとき、鏡が真横にピーッとひび割れたのです。 シャロット姫はハッと気づき、叫びます。「呪いが私にふりかかった」。
そして姫はついに自分の運命に逆らい、禁じられた行動に出る決意を固めます。小舟に乗り、外の世界へ足を踏み出したのです。しかし残念ながら塔を離れたことで呪いが発動し、シャロット姫は命が短いことを感じます。舟は水面を漂いながら、アーサー王の王国に向かいます。
命尽きるかと思われたとき、ついにランスロットは小舟の上のシャロット姫を見つけます。ランスロットは彼女の姿を見て驚き、どうしたのかと尋ねます。シャロット姫は自分が死ぬ運命であることを告げ、彼に「良き騎士ランスロットよ、私を哀れみなさい」と言い残し、息を引き取ります。
この美しい作品を描いた19世紀イギリスのヴィクトリア朝時代の画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849年4月6日 – 1917年2月10日)は、特にラファエル前派の影響を強く受けたことで知られ、ロマン主義的かつ幻想的な画風で多くの女性の肖像を描きました。また神話や伝説、文学的なテーマを扱った美しい作品群はまさに彼の真骨頂ともいえるものであり、今も多くのファンを獲得し続けています。
ウォーターハウスはロンドンで生まれました。両親ともに画家であり、芸術的な雰囲気を持った家庭に育ったため、彼も自然に画家の道を選んだようです。最初は英国王立美術院で古典的な技術を習得しましたが、後にラファエル前派のダンテ・ガブリエル・ロセッティやウィリアム・ホルマン・ハントといった画家たちの影響を強く受けるようになります。
ラファエル前派は15世紀のルネサンス前の画家たちに倣い、細密で鮮やかな色彩、自然主義的な描写を重視したことが特徴です。また、神話や伝説、文学のテーマを作品に取り入れることでも知られています。ウォーターハウスは、こうした影響を受けつつも、独自の幻想的なスタイルを発展させていきました。特に女性を中心に描いた幻想的な絵画が多く、豊かな色使いが非常に印象的です。
ウォーターハウスの制作人生は輝かしいものでした。英国王立美術院の最高芸術院会員、英国王立美術院評議会の議員、そしてセントジョーンズウッドの美術学校で教鞭をとり、67歳で死去するまで美しい絵画を描き続けたのです。
ところで、この悲劇的な物語には、運命に逆らおうとする女性の自由への渇望というテーマが秘められています。閉じ込められた状況から自由を求める心情が描かれているのです。シャロット姫がなぜ呪いをかけられて塔に閉じ込められたのか、実はアーサー王伝説にも説明はありません。私たちは想像するしかありません。
ただ、19世紀、ロンドンが産業革命でわき立っていた時代、一方で身を落とす女性も多かったといいます。女性の地位はまだ低く、仕事に恵まれず、才能があっても貧しさからお針子になるか娼婦になるかという選択に苦しむことも珍しい話ではなかったようです。ですからこの当時、「オフィーリア」や「シャロットの女」といった川に流れる女性をテーマとした作品が多かったのには、まだまだ暗い時代背景が大きく影響していたとも言われています。社会的抑圧も強く、権利も限られ、貧しさからの栄養失調や感染症、労働による身体的な負担から絶望し、実際に川に身を投げて亡くなる若い女性も多かったようです。ウォーターハウスの描いたシャロットの姫は当時の貧しい女性たちの、悲しい象徴的存在でもあったのです。
★★★★★★★
ロンドン、 テート美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(美術出版ライブラリー 歴史編)
秋山聰(監修)、田中正之(監修) 美術出版社 (2021-12-21出版)
◎改訂版 西洋・日本美術史の基本
美術検定実行委員会 (編集) 美術出版社 (2014-5-19出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」
木村 泰司 著 ダイヤモンド社 (2017-10-5出版)
◎超絶技巧の西洋美術史
池上 英洋, 青野 尚子 著 新星出版社 (2022-12-15出版)